そして1959年、音楽にとって大きな年が来ます。バディー・ホリーとともにロックが死に、マイルスが「KIND OF BLUE」を発表、ジャズがモードへと大きく舵を切り始めました。時を同じくして地球の裏(ブラジルから見たら表)ブラジルではジョアン・ジルベルトが「CHEGA DE SAUDADE(シェーガ・ジ・サウダージ)想いあふれて」を発表。アントニオ・カルロス・ジョビンの土着的なメロディー、ブラジルの外交官でもあった詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスのセンチメンタル・ブラジアリアンな歌詞、そしてジョビンのギターから鳴らされる2拍子のリズム(バチーダ奏法)はリオはおろか当時のブラジル国中を鷲掴み。モダン・サンバでは無く、ボッサ(粋な)ノヴァ(新しい)「ボサノヴァ」という言葉が生まれ、一大ムーヴメントを巻き起こしました。
(左)JOAO GILBERTO/CHEGA DE SAUDADE 後にアメリカでは「NO MORE BLUES」に変身。 (右)MILES DAVIS/KIND OF BLUE ジャズの転換期を示唆したジャズの重要作。
しかし、アメリカで爆発的なヒットをしたボサノヴァは、正確には本来のブラジルのボサノヴァではなく、アメリカナイズされたものでした。本来のボサノヴァはポルトガル語で歌われ、韻を踏まれた歌と伴奏が絶妙のリズムを生み出します。アクセントの違う英語に変えてしまってはその旨味は当然なくなります。さらに中には、ブラジルが包まれた大切な詩も、メロディーに都合の良いものに変えられる始末。結局アメリカでのボサノヴァはブラジルの音楽ではなく、南国の音楽の一つとしてしか扱われなかったのです。(左)EYDIE GORME/BLAME IT ON THE BOSSA NOVA HANK MOBLEYも演奏した「RECARD BOSSA NOVA」に歌詞をつけて大ヒットしました。
70年代に入り、アメリカのポップ・ミュージック化したボサノヴァも下火に。20年続いたボサノヴァの火がとうとう消えようとしていました。 そんな中、息を吹き返してきたのが往年のボサノヴィスタ達。アメリカで成功を収めたジョビンやジルベルトも原点回帰と言わんばかりにブラジルを起因としたボサノヴァを吹き込みます。(アメリカでの全盛期時代、本国ブラジルではアメリカに魂を売ったと非難されていたようです。)1974年に発売されたブラジルの大物歌手エリス・レジーナとジョビンの共作はその象徴でもあり、アルバム「Elis & Tom」はボサノヴァ及びブラジル音楽の一つの到達点とも言われています。1曲目「Águas de Março(3月の雨)」は未聴のかたは是非聴いていただきたいです。https://www.youtube.com/watch?v=gqavRbAhQzY 他国が真似できないブラジルの音楽が感じとれると思います。
(左)ELIS & TOM ボサノヴァがその後息を吹き返した分岐点とも言えるアルバム。 (右)BEBEL GILBERTO/TANTO TEMPO ジョアン・ジルベルトの愛娘。ボサノヴィスタの魂はしっかり受継がれています。