泣きながらツイスト -COOLS 40th SINCE1975- 1975年に結成され本年40周年を迎えるロックバンド「クールス」 8月にはトリビュートアルバムがリリース、今月はアニバーサリーツアーも敢行され、一部の好き者を大いに沸かせている。 近年ようやく音楽的側面が評価されつつあるが、まだまだルックスから来る先入観からか一般の音楽ファンからは黙殺もしくは嘲笑の的となってしまうバンドだ。デビュー当時からずっと追いかけて来た身としては複雑な思いだが僕自身の音楽の原点とも言えるクールスについて僕自身の視点から語ってみたいと思う。 日本橋店 渡辺正 |
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A TRIBUTE TO COOLS “GET HOT COOL BLOOD BROTHERS” 1.クールス/泣きながらツイスト※新曲 2.藤井フミヤ/シンデレラ 3.横浜銀蝿/Tバード・クルージング 4.クレイジーケンバンド/恋の炎は燃えて 5.キノコホテル/薔薇の刺青 6.CONNY/シンデレラ・リバティ 7.Kozzy Iwakawa and B.A.D Allstars/いかしたグッドモーション 8.伊集院幸希/Mr.ハーレー・ダビッドソン 9.Yellow Studs/紫のハイウェイ 10.バンヒロシ/バースデイ 11.輪入道/CHANCE'S 12.JABBERLOOP/Climax 13.THE TOKYO/ひびわれたグラス 14."Ye Crack (チャーリー森田 & 小林ヨシオ)"/追憶 |
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“黒いカフェレーサー” デビュー当時のクールスの雰囲気を知るなら、兵庫県赤穂在住のHIDE氏が運営するファンサイトに投稿された横山剣さんの文章が素晴らしい。どこの誰も言わなかった切り口だが読むと当にそうだと思わせる名文だ。 どことなくフレンチな薫りがあって、表参道がパリのシャンゼリゼを気取ってた頃を思い出させます。つまり、クールスは青山、原宿が、大人の街だった頃の名残 を漂わす唯一のグループでもあり、そんな気取り腐ったハイソな街を黒いオートバイ(ゼッツー!!)で疾走する様、或いは、カフェテラス「レオン」の前にカフェレーサー仕様のマシンを乱暴に横付け、エスプレッソをすする文化人気取りを鼻であざ笑いながらビールをラッパ飲みする姿は、まるで古いフランス映画に出て来るパリの暴走族みたいで最高にクールでカッコ良かったです。自分にとってのクールスって、こんな印象なんです。 http://blog.livedoor.jp/coolsfan/archives/7470422.html http://blog.livedoor.jp/coolsfan/archives/7471876.html 1974年、カワサキやドカティのカフェレーサーやハーレーダビッドソンに乗るストリートチームで原宿を拠点としていた。一般的には暴走族と括られてしまうのだが、もう少しバイカーズや音楽やアメリカンビンテージカジュアルなどストリートカルチャーに根ざしたものだった。MCシスターと言うハイティーン向けのファッション雑誌の取材で一躍脚光を浴び、当時、矢沢永吉を中心としたロックンロールバンドキャロルとも交流があり、キャロルの解散コンサートの警備を担当することとなる。キャロル無き後を埋めるように翌年1975年バイクチーム・クールスから舘ひろしを中心に選抜メンバー8名でロックンロールバンド・クールスがデビューした。 |
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“EVERYTHING WE SAID WAS COOL” デビューアルバムのタイトルは「黒のロックンロール」 横浜新港埠頭のレンガ倉庫前でのジャケット写真の格好良さに度肝を抜かれたが、その音楽はさらに参った。全編を近田春夫が編曲、特に近田春夫の作詞作曲の「シンデレラ」は出色の出来栄えだ。他にもキャロルの矢沢永吉やジョニー大倉が作曲を担当している。全編にみなぎる溌剌とした高揚感とペナペナとした安っぽさがポップスとして超一級の証だと思っている。ギター担当ジェームス藤木の作曲する「恋の炎は燃えて」も良い。バンドの屋台骨を支えていると言っても過言ではないジェームスのセンスが炸裂する名曲だ。甘いイタリアンツイストのリズムに60年代フィルムノワールからインスパイアされた日活無国籍ギャング映画の香りがたまらない。 翌年1976年リリースのセカンドアルバム「ロックンロール・エンジェル」では多くの作曲をジェームス藤木が担当し、その非凡なセンスが開花する事になるが、その中でもとりわけ「ミスターハーレーダビッドソン」のスウィートなポップセンスは素晴らしい。アルバムジャケットでリーゼントにしかめっ面で写る男がファルセットにオネエ言葉でバイクにしか興味を示さないぶっきらぼうな男への気持ちを歌う…その後夢中になるジェームズブラウンの曲にもこれまで聴いてきたどの曲にもない異質な違和感を感じたが、このミスターハーレーは、違和感はロックンロールの強烈な推進力になると感じた一曲だ。 この二枚のアルバムはキングレコードからリリースされ、その後リーダーの舘ひろしが脱退し、残ったメンバーがトリオレコードに移籍しクールスロカビリークラブと改名して再出発したのが1977年だ。 |
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1977年は灼熱の年と言われる。原宿で空前のロックンロールムーブメントが起こり、ロンドンからはセックスピストルズやクラッシュなどのパンクロックがやってくる。キャロルが解散しその年に矢沢永吉は日本アーティストで初の武道館ライブを敢行。そう言えば山本寛斎のパリでのショーではキャロルのライブを行った。そのショーを見ていたマルコムマクラーレンとビビアンウエストウッドはキャロルにインスパイアされ、それがセックスピストルズのアイデアに繋がったそうだ。そんな年であるにも関わらずクールスは苦闘していた。看板スターの舘ひろしの脱退、移籍したトリオレコード主導で事が運ばれる。音楽的にはほぼロカビリーの要素がないにも関わらず、キングレコードのクールスと区別するために、フィフティーズやロックンロールムーブメントを一括りにしてロカビリークラブと名付けられた。アルバムジャケットには結成当時のライダースJCやリーバイス1stJCにトニーラマとリングブーツではなくクリームソーダ系フィフティーズファッションを着て写っている。楽曲はプロのライターで演奏はスタジオミュージシャン。それでもスマッシュヒットさせる勢いがクールスにはあった。その後クールスらしさを取り戻してクールス史上エポックメイキングな作品となる「NEW YORK CITY N.Y.」をリリースするのが1979年。 |
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“NEW YORK CITY N.Y.” ニューヨーク録音のこのアルバム、アレンジとプロデュースはクールス名義だがSOUND CREATIVE PRODUCERとしてクレジットされている山下達郎が実質のプロデューサーだ。同じレコード会社に在籍していた事、達郎がクールスのジェームス藤木の音楽センスを高く買っていた事、当時の力関係で言うとクールスの方が売上は上といった諸々から山下達郎がプロデューサーに抜擢されたようだ。ニューヨーク録音の経験者である山下達郎がスタジオや機材も全て手配、マクシスカンサスシティと言うNYパンクのメッカとも言われるクラブでのギグも行いその楽器搬入からセッティングまで山下達郎は嬉々として行ったという。クレジットされていないが楽曲「LOVE CHANCE」ではコーラスだけでなく村山一海とユニゾンでボーカルが入っている。当時の僕のステレオでは全く聞き取れなかったが良いオーディオシステムで聴くと低く小さい音だがはっきりと山下達郎のボーカルが聴き取れる。ミスターハーレーダビッドソンの延長にあるスウィートでメロウな素晴らしい楽曲だ。そして村山一海の甘く投げやりな唱法は曲がメロウでリズミカルに跳ねるほど威力が増す。 同時にシングルカットされたアルバム未収録の「センチメンタル・ニューヨーク」は山下達郎お得意の摩天楼のシティソウルと言った趣でクールスのイメージを覆してしまうポップチューンとなった。後のレアグルーヴ和物クラブフィールドから金澤寿和監修のコンピレーションアルバム「Light Mellow」に南 佳孝、吉田美奈子、ムッシュかまやつ、久保田真琴らの楽曲と並び取り上げられた。 |
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ラストダンスはCha,Chaで/Do The Steam Train ツインボーカル体制を取っていたトリオ時代からポリドールに移籍、ボーカルのピッピが脱退。ポリスターのシングル第二弾の「ラストダンスはCha,Chaで」は60年代の横浜モトマチ臭がプンプンする。本牧の黒人ネイビーボーイのステップを参考にしたハマチャチャというラテンソウルのダンスリズムが格好良い。胸元にタツノオトシゴのフクゾーのカーディガンを羽織りステップを踏みたくなる。イラストはヘタウマの巨匠湯村輝彦で小さく写る背を向けた青年は当時クールスのローディーだったCKB横山剣。全てがパーフェクトな7吋シングル。 |
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COOLS OLDIES SPECIAL 1.ワンダフル・ワールド 2.ジャスティン 3.シェイク・ユア・テイル・フェザーズ〜メドレー 4.ロミオ&ジュリエット 5.マイ・ガール・フレンド〜プレイ・ガール 6.ラ・ラ・ミンズ・アイ・ラブ・ユー 7.涙のベイビーズ・コール 8.シャウト 9.ピーク・アー・ブー 10.ソフトリー・イン・ザ・ナイト 11.ダウン・オン・ザ・ビーチ 12.バッド・ボーイ 13.バッド・ボーイ |
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1981年に現クレイジーケンバンドの横山剣と現クレイジーケンバンドマネージャーのトニー萩野が加入し新生クールスとなる。山下達郎プロデュースの「NEW YORK CITY N.Y.」をエポックメイキングなアルバムと書いたが、ここでまたクールスのイメージを覆す「COOLS OLDIES SPECIAL」がリリースされる。個人的には一番好きなアルバムで最高傑作だと思っている。全曲カバーで安易な企画物と思われそうだが、この時代にロックンロールの看板を背負った売れっ子のクールスが60〜70年代のソウルミュージックをカバーするという事は相当の英断だ。しかも全ての楽曲は完全に解体されオリジナルの歌詞が付けられて別物とも言える楽曲に再構築されている。アルバムジャケットは横浜厚木で撮影され、舘ひろし在籍時の70年代青山メトロなイメージから横須賀横浜のブラックミュージックに根ざした文化が注入され出した。 ワンダフル・ワールド 歌詞:横山剣 曲:サム・クック 真赤な太陽がBay Side染める頃 いつものあのBarへ 口笛吹きながら せつない思い出の なつかしいSweet love song It's WONDERFUL WORLD this would be いかしたstepで 陽気にDo the Cha-Cha-Cha 照れ屋のマスターも 仕事忘れDo the dance せつない恋の夢 うるわしいSweet love song It's WONDERFUL WORLD this would be 誰もが 孤独なSoldier 虚しさに 傷ついた 心つつむ 愛を探して いかしたあの女 遠くGeorgiaまで くびれたウエストを 自慢してたGo Go girl せつない思い出の なつかしいSweet love song It's WONDERFUL WORLD this would be せつない恋の夢 うるわしいSweet love song It's WONDERFUL WORLD this would be 誰もが 孤独なソルジャー 虚しさに 傷ついた 心つつむ 愛を探して いかしたステップを 教えてくれたのは 黒い肌のネイビーボーイ サムによく似たソウルメン せつない思い出の なつかしいSweet love song It's WONDERFUL WORLD this would be La tza...... |
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1975年のデビューから幾度ものメンバーチェンジと所属レコード会社の移籍を繰り返し、残念なライブも多々あったりしながらも40年が経った。岩城滉一と舘ひろしと言う大物俳優を輩出し、初期は矢沢永吉、ジョニー大倉、近田春夫が関わり、山下達郎にメンバー中核のジェームス藤木を日本の3大フェバリットギタリストと言わしめたバンド。ビジュアルや取り巻きの空気、チープな演奏力等々、一般の音楽ファンからネガティブに見られる要素をろ過して出てくるソウルの一滴は極上だと言っておきたい。 |