厳しい暑さが続く今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。 8月第2週のメールマガジン、日本橋店からは渡辺が担当させて頂きます。 独りよがりの駄文に暫しのお付合いを・・・ コダクローム ご機嫌な写真が撮れる是 眩しい夏の風景もね 世界中が輝いてるよ こう歌ったのはサイモンとガーファンクル。 彩度の高い夏の風景の、 まるでコダクロームで撮られた写真や古い映画のような発色がたまらなく好きだ。 今回の話題はサルサの第一人者であり、孤高のイラストレーターの河村要助氏についてです。 |
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“河村要助の真実” 7月18日にP-Vine BOOKsから発売された「河村要助の真実」は快挙だと思う。 サルサは氏のイラストや文章無しには語れない。 「日本のイラストレーション界に大きな足跡を残しながら、 ある日、忽然と私たちの前から姿を消したのが河村要助だった」 上記の文章は、この本の裏表紙に書かれたコピーからの抜粋。 まさにそう。 ブラックミュージックレビュー名物コラムのサルサ天国〜サルサ番外地、ニューミュージックマガジンの表紙、Bad NeWsに於ける数々のイラスト・・・。 氏の描くザラついた質感ながらどうしようもない愛嬌を湛えたローファイなイラストや、この上なく上品でチャーミングな音楽論評にヤラれまくっていたのが80年代半ばから90年代半ば。 10代の半ばにロックンロールミュージックに傾注し、 いかがわしく、ショービズ的きれいな嘘と煮えたぎる衝動の相反する要素を併せ持つ音楽に引き寄せられ、 たどり着いたのが河村要助氏の音楽論評。 86〜7年頃のことだと思う。 当時、耳よりも先に目とオツムが反応してしまった。 自然とラテンミュージックなんかが周りで鳴っている環境ならかっこいいのだが、 その頃、サルサが鳴る環境など皆無だった。 少なくとも僕の周りには無かった、がそんなことは、まぁ、いい。 それからサルサを求めて三千里。 時はバブルの真っ只中、 カネの恩恵はまったく受けることはなかったが、 サルサとその周辺のラテンミュージックやソウルにアフリカンミュージックなど、 非ロックでショービズでヤバそうな音楽家たちがこぞって来日し、 黒くグルーヴするダンスミュージックを生で体験できた事はとてもラッキーだった。 そんな当時の雰囲気を真空パックしたような河村要助氏のイラスト集が「河村要助の真実」 |
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“サルサ番外地” そう、 僕はサルサという音楽に耳よりも先に目とオツムが反応してしまった。 当時You Tubeどころかインターネットも無くメジャーな音楽以外はテレビはもとよりラジオでもまず流れることは無かった。 情報は雑誌だけ。 河村要助氏の音楽論評を目にしてしまった時から、 僕の頭の中では妄想の熱帯音楽が鳴り出す。 憧れは妄想を引き起こし、暫し行き過ぎる。 もし僕に溢れんばかりの音楽の素養があれば妄想の行き過ぎた熱帯音楽は最先端のダンスミュージックとして一世風靡したのか 音楽的素養のない僕はそれをアウトプットすることはなくただの妄想で終わった。 後は当たって砕けろ スウィートココでLP買って、クラブSEXやダイナマイトでDJプレイを聴きに行った。 サルサは何処からやってきて何処へ行くのか。 サルサ番外地に書かれていた文章は強烈で晴天の霹靂だった。 河村要助氏はサルサは北米はニューヨークの音楽だという。 時は60年代後半。 プエルトリコからニューヨークに移り住んだ移民2世たちが故郷に想いを馳せて 隣の国キューバのルンバやボンバなどのフォーマットを用いて流行りのソウルやロックの要素を取り込んだ混血ダンスミュージックを演りだした。 それがブガルー。 時代の徒花ブガルーはほんの1〜2年で消滅し、洗練されたサルサにバトンタッチされていく。 今ではトロピカルミュージックの代表格であるサルサとは 雪振る大都会のスラム街で喧騒に入り混じり鳴っていたのだという。 反則かも知れないが河村要助氏のグッとくる文章の触りを紹介する。 「地下鉄の轟音が、靴の底を通して伝わってくる。イエローキャブのクラクションと、パトカーのサイレンが交差する。ピッツァパイ屋の店先の匂い。タマリンド・シロップを溢れさせた、かき氷のコーン。汗ばんだ手触りのする地下鉄のトークンと、ペンキの塗り重ねられたプラットホームへの手すりの感触。そんな断片を繋ぎ合わせた空気の中には、英語に混ざってスペイン語が聞こえている筈だ。ウィリーコローンのサルサがひときわ活き活きとした表情を見せ始める。これでいいのだ」 この上なく上品でチャーミングな文体で綴られたサルサへの偏執的愛情。 そしてコダクロームで撮られた写真や古い映画のような発色感で、 彩度が高いのに少し煤けていてドライにもウェットにも取れるILLなイラスト サルサと伴に河村要助氏の文章と絵が音楽のように僕の頭の中で鳴り出す。 たとえ、耳よりも先に目とオツムが反応してしまったとしても、 それが音楽的で何かグッと感じるならこれでいいのだ。 ちなみの僕の座右の銘は「考えるな感じろ」「これでいいのだ」のふたつ。 |
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“Bad NeWs” バブルの絶頂期89年に伝説の音楽雑誌「Bad NeWs」は創刊された。 モダンブルースからファンクにラテン、はたまた河内音頭までストリートの目線でダンスミュージックを語る続ける藤田正氏と河村要助氏の二人がタッグを組んだインディーズの雑誌だ。 イギリスのダンスジャズ雑誌ストレートノーチェイサーとは当時互いに触発しあっていた。 たまらない文章とたまらないイラスト。 ヘタな音楽聴いているよりもずっとグルーヴを感じる雑誌だった。 Bad NeWsでの河村要助氏の仕事はすべてのイラストとアートワークにタイポグラフィ全般。 タイトルのBad NeWsも河村要助氏の命名で、 キリスト教でいうグッドニュースを黒人的にひっくり返したジョークから来ている。 少数精鋭でとてつもなく手間と暇と愛情をかけて作られた音楽雑誌「Bad NeWs」 89年に創刊して95年にその幕を閉じる。 |
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サルサは何処からやってきて何処へ行くのか。 雪降る大都会で生まれたサルサは今とんでもないところに行こうしている。 それはニューヨークに留まらず、 ウエストコーストはもとより母国プエルトリコからコロンビアやペルーにラテンの本場キューバをも席巻。 ニューヨークで咲いた徒花の種子は、 当然ヒップホップとも交わり、21世紀に入り中南米の辺境の地で幾度も交配され、 耐性の強いドープで摩訶不思議な音楽に変わりつつある。 「機械が人力かと云う演奏ハードの線引きが、充実を増す音楽の内実に呑み込まれ、次第にちぢんでゆく光景に、我々は今対面している訳だ」 音楽マフィアの蔵真一郎さんはこんなナイスな文でその辺の事情を表現されている。 番外地とはつまり無番地。 人里離れた山林や埋め立てられて出来た土地を言う。 サルサから派生した摩訶不思議な音楽はまさに音楽の不毛地帯であり音楽の埋立地だ。 ジャンルとして確立するのは何年も先のこと。 サルサもロックもみんなそう。 確立された頃にはそこから飛び出しまた新たな音楽の流れが勃興する。 この番外地感は辺境のホップミュージックを聴く時の重要なキーワードだと思う。 今、僕はイラスト集「河村要助の真実」のページをぱらぱらとめくりながら、この文章を書いている。 河村要助氏のイラスト。 それはまるでコダクロームで撮られた写真や古い映画のような発色感で、 彩度が高いのに少し煤けていてドライにもウェットにも感じる画風だ。 サルサと伴に河村要助氏の文章と絵が音楽のように僕の頭の中で鳴り出す。 たとえ、耳よりも先に目とオツムが反応してしまったとしても、 それが音楽的で何かグッと感じるならこれでいいのだ。 「日本のイラストレーション界に大きな足跡を残しながら、 ある日、忽然と私たちの前から姿を消したのが河村要助だった」 氏の描くコダクロームのような質感のイラストは2000年あたりから露出が減り、 今、氏がどんな状況かもよくわからない。 そんな中で 7月18日にP-Vine BOOKsから発売された「河村要助の真実」は快挙だと思う。 夏真っ盛り。 この季節は沈み込んだ発色のバティックプリントのプルオーバーBDシャツやバミューダショーツを着たくなるし、 冷蔵庫で冷やしたトウフの味噌汁を冷ご飯にぶっ掛けて食べるときに幸せを感じる。 そして大都会のスラム街から生まれた熱帯音楽を聴くとゴキゲンになる。 日本橋店 渡辺正 |