「オーディオ雑談カフェ」 1.〜もう一つの秋葉原〜 2006-5-26 音迷人 秋葉原にはお目当てがあって、昭和20年代後半から出かけていったものです。工作好きの少年は御多分に漏れず、動くもの即ち汽車や自動車、飛行機などが大好きで堪らなかったからです。それと学校の校外学習で訪ねもしました。そう皆さんも行かれたであろう「交通博物館」です。 5月14日で閉館すると言うので、懐かしさのあまり5月10日昼から訪ねてきました。 写真は客車の窓下の塗装で、いい色合いの洒落た模様です。商業トーンの塗装よりこのような塗りの車両が走っていたら、人も落ち着くのではないでしょうか? |
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先週の秋葉太郎氏のレポにもありましたが、博物館は秋葉原駅から左手に出て万世橋を渡り赤レンガの高架をくぐると直ぐ右手に有ります。調べますと85年前今の東京駅の神田寄り、新大手町ビルに沿う高架下で「鐵道博物館」として産声を上げました。その日は日本の鐵道開業50周年記念日だったそうです。そして何と一般公開はこの日から10日間!で累積60万人が訪れたといいます。高架の道路側には機関車を十数台ずらりと並べて、道路から見物できるようにした写真がありました。その後関東大震災で火事に見舞われ焼失してしまいました。 1年半後復興し、無料開館ができたそうです。それと展示物は出来るだけ「動く」ことを陳列の第一としたそうです。 私も良く知らなかったのですが、万世橋駅は丁度今の東京駅界隈を小さくしたような赤レンガの立派なターミナル駅だったのです。この駅前の須田町は人や車が行き交い賑やかだったそうです。東京駅は後から造られた上まだ繋がっていませんでした。東京駅を建設して後既設線を延長したことで、万世橋駅は中間駅となり、徐々に役目は終わって東京駅に移り、現在に至っているのですね。(おまけ参照) さて、博物館を実は懐かしいと言いましたが、良く考えると50年ぐらい前が最後のようで、よく言う「地元の名所はいつでも行ける」で油断していたのです。東京タワーも人を案内して1回上っただけです。出かけた道中、昔の様子はどんなで展示品は何だったか思い出そうとしましたが、暗くて狭いレンガアーチの部屋の記憶くらいしか残っていません。あとはさっぱりで、いかにその後オーディオに我が貧疎なメモリー細胞を与えたかと言うことでしょうか?そこで昔との比較などは無理なので、現状を見て記録しておこうと考えました。平日でしたが名残り惜しむファンや幼児たちで既に一杯で、入場発券所は各列20人ほど並んでいました。最近完成する「何とかヒルズ」などの建物は構えが大きく、贅沢な造りになっていますが、こちらは昔のこととはいえ、高架下の利用と狭い敷地に立てた展示室と言うことで入口は狭く貧弱です。 写真1〜4:秋葉原側から万世橋を渡って高架下を回り込んで入口へ(入口前の飾り車両を撮り忘れて困っていましたら、先週のメルマガで秋葉氏に出していただけました。合わせて観て下さい) |
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310円で入場すると左手がパノラマ運転場、右手が機関車ホールです。大人の今でも頭の中がワーッとはしゃぎます。ですから皆さん足が止まって、ここは人が流れていません。 ★機関車のネームプレートが壁一杯でよだれも一杯。★動輪周りは「かくも美しいものが在るのか!」の出来で力強さ、動感、意外にもしなやかさまでありますね。★一方配管はかなりいい加減で何方かのアンプの配線?のようです。きっとある程度ルーズな方が熱ストレスに強いのでしょう。★私たちが外から見ている逞しく黒いボイラータンクは実はカヴァーで1枚内側に本当の圧力壁があったのですね。 ★ホールを上から見たところですが、右がC57で左がカットモデルのマレー型「9856」です。特別なわけは無いと思いますが、ご本家、博物館のパンフレットでは「9850」となっており6を0とミスしているようです。開腹手術をうけて、79年も立ち尽くす機関車に主として恥ずかしいですね。(こんな指摘をする私が変わり者?いや逸材か?(-_-;) )このためか雑誌なども良く間違えています。 それにしてもこの機関車ホールが東京からなくなるとは残念です。大阪・京都には交通科学博物館や梅小路機関庫があり、実車運転もしているそうですから良いですね。無くならない?内に楽しんでください。 |
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私が記憶していた暗いレンガ造りのアーチのイメージを証明する写真が有りました。この中に遠い日の私が写っているかも知れませんね。現在はボードで隠されていますが、かえって安っぽく殺風景にも感じます。 |
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★これもとても懐かしく、思い出しました。確かブリジストン製の自転車用ドライブエンジンで、自転車に後付けし、後輪リムにエンジン駆動のアイドラーをあてがって動力を伝えます。田舎道で500mほど運転したのが中学二年の夏でした。この頃の免許?許可?はどうなっていたのかな?恐らく30CCぐらいで許可不要だったのでしょう。 ★下の左はオートバイのヘッドランプですが何とアセチレンガスランプです。それにしても何とも格好いいですね。今のつり目ランプ系のディザインを笑っている様です。★下右はシャフトドライブのライラック。BMWの模倣かと思いますが、これも格好良かったです。わりと早く姿を消したようです。 |
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上記のベンツを写真に収めたとき、この車の音を聞いたぞと直感しました。シュポンシュッポン、ガラガラと言うポンポン船の様なのどかな感じの走行音です。家に帰って調べてみましたら、オーディオチェックCDにありました。「スタッカート2」というテストCDで22Trでした。音楽、自然音、交通、テスト信号など63トラックもあります。ドイツ製で日本オーディオ協会取り扱いです。 上の写真はベンツから贈られた動態レプリカの展示です。CDのは運転音を録ったときの写真ですから、本物でしょう。 この1886年パテントを取った世界初ガソリン車の諸元は 水平単気筒ガソリンエンジン 984cc 0.89馬力/400回転 2名乗り、263Kg です。 CDで走行中の排気音を数えますと約50回/13秒でした。計算すると230回、4サイクルエンジンとして460rpmとなります。後部エンジン型で、座席後ろに第四の輪、即ち大きめなはずみ車がありました。そのせいかCDではエンジンを切ってから20秒ほど回っている音が聴こえます。 |
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記念のお土産です。良く仕事で九州へ行きましたので「富士」なんです。それとさよなら特集号の雑誌を求めました。私はそんなに買いませんでしたが、結構な額の物が良く売れていました。グッズ売り場は下手な展示物より人だかりが多く、これだけ買うのに15分くらい掛かるほどでした。 |
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おまけ:◆交通(鐵道)博物館、万世橋駅、東京駅と年代関係が解り難いので、調べて整理してみました。 これで見ると今の建物は1936年に大手町から万世橋駅に移転し併設された時からの物です。一寸見では建物から飛び出した総ガラス張りの円形の階段踊場などモダンで、それほど古いとは思えません。設備、安全などの理由はあるのでしょう。今回の閉館理由とされている館の老朽化が進んでいるのだそうですが、以前のわが家は木造で70年持ちました。 ★写真上:理由はともかく移り行くことを止める事が出来ません。再び万世橋に立ちレンガアーチの壁を見ていたら、機関車が大きな動輪を軋ませて走り去って行くような錯覚に陥りました。(実際に走っている時、特にカーブで車窓から覗いた機関車はまるで生き物のように感じ、それ!と声をかけたくなったものです。黒い煙と白い蒸気、汽笛と排気音、そしてピストンメカの上下する走りは実に感動的でした。)もういけません、胸詰まらせながらシャッターを切りました。(川は今リバイバル?の「神田川」下流域です) ◆下の絵:パソコンに会社で触った頃、マウス練習にと描いた想像での「夢・弁慶号」です。いろいろ違う所がありますが、感じは出ているでしょう? |
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5/26追加です。5/25、日本テレビみの・もんたさんの「思いっきりテレビ」で107年前食堂車誕生の日とやってくれました。確か神戸〜広島だったかな。 |
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