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こんにちは、レコード店の松田です。 今回は「カバーポップス・ワールド編」をテーマに書きたいと思います。 60年代にはアメリカやイギリスのみならず様々な国から良質なポップスが持ち込まれました。この海外のポップスに日本語詞を付けカバーポップスとして歌われ親しまれていました。 60年代のカバーポップスは、原曲本来の意図やニュアンスを残し歌われたものから、異国情緒あふれるメロディーのみ拝借し好き勝手歌ったものまで様々。 今回はそんな楽曲をご紹介します。 |
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ダニー飯田とパラダイス・キングのヒット曲「悲しき六十才」は起源は不明ですが、アラビア語・フランス語・イタリア語が入り混じった多国籍ポップス。 トルコ出身のダリオ・モレノやエジプトの歌手ボブ・アザムに歌われたものがヒットし日本にも持ち込まれました。 エキゾチックな楽曲と淡々と歌われるコーラス、コミカルな内容の歌詞が記憶にこびりつくような1曲です。坂本九による歌唱です。 同じく坂本九のヒット曲「レットキス」は、フォークダンス「ジェンカ」としてもなじみ深いフィンランド民謡です。 坂本九のほか、青山ミチにも日本語カバーされました。 どちらも歌詞は「Let kiss」という意味合いで書かれた可愛らしいラブソングとなっていますが、フィンランド語での「Letkis」とは「Letkajenkka」の略で、「列になって踊ろう」の意味。 |
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「バナナボート」はアメリカの歌手ハリー・べラフォンテに歌われヒットしたジャマイカの労働歌。 マンボブームに続くニューリズムを流行させようと「カリプソ娘」として売り出された浜村美智子の57年のデビュー曲。井田誠一による原曲に沿った意訳の歌詞です。 71年にはゴールデン・ハーフがなかにし礼の訳詞でカバーしていますが、労働歌の影はすっかり消されちょっぴりセクシーなゴールデンハーフ流の歌詞で歌われています。 |
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「ドミニク」はベルギーの修道女、スール・スーリールにより作詞作曲され、世界的ヒットとなった楽曲。 フランス語で歌われたこの曲ですが、当時アメリカで英語以外の曲がヒットするのは異例だったそう。 ザ・ピーナッツや伊東ゆかり、ペギー葉山、こどもの歌などで歌われ日本でもヒットしました。 ペギー葉山版は「修道女」のイメージを強く打ち出したかったのかイントロ部分に「ハレルヤ」コーラスが付け足されています。 |
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「月影のナポリ」はイタリアンポップスの女王・ミーナによりヒットしたナンバー。森山加代子のデビュー曲で岩谷時子の作詞。 ザ・ピーナッツも別の日本語詞でカバーしておりこちらは千家春(岩谷時子のペンネーム)による訳詞。同じ訳詞家で別の日本語詞があるのはとても珍しいように思います。 ナポリブームに便乗し売り出されたのが「月影のキューバ」 こちらも森山加代子、ザ・ピーナッツ他にカバーされています。 キューバの歌手セリア・クルスのナンバーで、日本で発売したシングル盤の解説はナポリブームにがっつり便乗しようとしている内容で面白いです。 「月影のマジョリカ(マジョルカ)」は「悲しき六十才」と同じくエジプトの歌手ボブ・アザムのカバー。 田代みどり、スリー・グレイセス、越路吹雪により歌われました。 エキゾチックな中東系ナンバーです。 「月影のレナート」はアルゼンチンのシンガーソングライター、アルベルト・コルテスにより作詞作曲されたミーナの62年のヒット曲。 63年に弘田三枝子によりカバーされました。 なぜか異国情緒漂う曲には「月影」という邦題がつけられていることが多い気がしたので4作まとめてみました。 |
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「スク・スク」はボリビア共和国のタラテーニョ・ロハスの59年作。 ニューリズムとしてヨーロッパ中心に流行していたスクスクを、パチャンガ・ドドンパに続く新しいリズムとして日本でも流行させようとしたレコード会社の思惑により持ち込まれました。 ダニー飯田とパラダイスキング、ザ・ピーナッツ、西田佐知子などにカバーされましたが、日本でスク・スクが流行ることはありませんでした。 |
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「アカパルコのお転婆娘」はメキシコのインスト曲のカバーで漣健児訳詞による1曲。 アカパルコ(アカプルコ)とはメキシコのビーチリゾート都市です。 62年にスリー・ファンキーズ、清原タケシ、佐々木功によりカバーされました。 歌にするには不自然さの残るメロディーと、リゾート感の薄い少し田舎臭い歌詞のアンバランスさが日本のポップスっぽくて良いです。 「浮気なパトリシア」はキューバ出身のマンボ王、ペレス・プラードによるインスト曲。 マンボ+ロックの融合=ロカンボとして売り出された1曲です。 ミッキー・カーチスのカバーは原曲よりビート感を強く、サウンドはさらに南国色が濃い「これぞロカンボ!」なアレンジになっていますが、デューク・エイセスによる生真面目に整ったコーラスが日本に連れ戻してくれます。 |
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64年頃からのフレンチ・ポップスブーム時にも多くの曲がカバーされました。 フレンチ・ポップスの代表曲とも言える「夢見るシャンソン人形」は弘田三枝子、中尾ミエ、越路吹雪、伊東ゆかりなどにカバーされ、またフランス・ギャル本人によるセルフカバーも発売され大ヒットとなりました。 シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」は63年の同名映画の主題歌。 弘田三枝子による吐息交じりの歌唱に控えめなアレンジ、ザ・ピーナッツ版はピアノ伴奏が印象的なサウンド、中尾ミエ版は原曲に近いアレンジになっています。 「そよ風にのって」はマージョリー・ノエルの65年のヒット曲。 弘田三枝子、伊藤アイコなどにカバーされていますが、一番スゴイのは本人による日本語セルフカバー。 歌詞を見ながら聴かないと、何と言っているかわからない程クセの強いカタコト歌唱です。 伊東ゆかり版のコーラスパートがすべて木琴演奏に変わっているカバーも印象的です。 65年のザ・ピーナッツ「かわいい小鳥」はマリアンヌ・フェイスフルのカバー。 ザ・ピーナッツがマリアンヌ・フェイスフル…。「意外!」の一言です。 弘田三枝子、伊東ゆかり、ザ・ピーナッツ、中尾ミエはこの時期のフレンチ・ポップスカバーの常連組だったようです。 |
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ザ・ピーナッツはご紹介した以外にも多くの曲をカバーしており、日本の音楽業界に、ワールド・ミュージックをより身近なものとして普及させた歌手だったのではないかと思います。 今回ご紹介した楽曲を改めて聞き比べてみると、各国様々なリズムや特徴的なメロディーラインなどはありつつもどこか親しみやすい楽曲が多かったように思います。 是非聞き比べて楽しんでいただけたら嬉しいです。 |
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