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春の到来でますます混み合う京都から、京都商品部の朴 高史です。 年号も変わった今回は、最近買ったレコードとそれに纏わる本についてのお話です。 |
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「HOCHONO HOUSE」(ホチョノ・ハウス) 細野晴臣 2019.3 .6ビクターエンタテインメント SPEEDSTAR / VIJL-60196 |
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画像は細野晴臣公式サイトより http://hosonoharuomi.jp/ |
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今年、メジャーデビュー50周年を迎える(1969年、ザ・エイプリルフールのベイシストとして、デビュー)細野晴臣氏が自身のソロデビューアルバム「HOSONO HOUSE」1973年作を、セルフリメイクした最新作です(曲順は逆になってます)。 プライベートスタジオで作られた、演奏、歌、アレンジからマスタリングまですべて自身による、つまり宅録作品です。 |
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The Apryl Fool Apryl Fool 1969 Columbia YS10068J 画像は細野晴臣公式サイトより http://hosonoharuomi.jp/ |
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「細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた」鈴木惣一郎 2015.12.12 DU BOOKS 画像はアマゾンより |
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細野氏とは師弟関係ともいえるワールドスタンダードの鈴木氏が、細野氏のソロアルバムのレコーディングエンジニアを年代順に尋ね、それぞれの作品についてインタビューし、その後、その内容について細野氏と話をします。 |
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「HOCHONO HOUSE」(アナログ盤)を予約 昨年の11月21日「薔薇と野獣(new ver.)」が、「Apple Music」「Spotify」などの音楽サブスクリプションサービスで配信されました。前作の2枚組アルバム「Vu Jà Dé」の発表からちょうど一年です。 その音を聴いてびっくり、ここ最近の作品とは全く違ったサウンドでした。前作までは、固定メンバーによるバンドサウンドの一発録り(風)のサウンドの作品が続いてましたので、そのつもりで聴いてました・・・ 翌年(2019年)にニューアルバムが出るとの告知もありました。内容はこの時点では不明でした。 2019年1月1日に、そのニューアルバムの内容が「HOSONO HOUSE」1973年作をセルフリメイクしたもので、タイトルが「HOCHONO HOUSE」になると発表され、1月17日から予約が開始となり、早速、アナログ盤を予約しました。 まずは、元となったアルバム「HOSONO HOUSE」について |
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「HOSONO HOUSE」Bellwood/KING 1973.5.25 (OFL-10 がオリジナル盤) 画像は細野晴臣公式サイトより http://hosonoharuomi.jp/ |
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1973年5月25日にリリースされた、はっぴいえんど解散後の細野氏初のソロアルバムです。 当時、細野氏は知人の勧めで埼玉県狭山市の通称アメリカ村と呼ばれた元アメリカ軍関係者の居住地区の一軒家に移り住んでおり(周りには、デザイナーやアーティストやミュージシャンも多数移住していたようです)、 その一軒家で、日本初のホームレコーディングに挑んだ一枚です。(ジェームス・テイラーの「ONE MAN DOG」やウッドストックのべアズヴィルスタジオのサウンドを目指して) 参加した中心メンバーの松任谷正隆、林立夫、鈴木茂、(駒沢裕城)と細野氏が後にキャラメル・ママ、ティン・パン・アレーを結成し、ジャパニーズ・シティポップを牽引することとなります。 この時のレコーディングの様子を詳しくインタビューされてるのが、この本「細野晴臣 録音術 」の「#1 ホソノハウス 吉野金次インタビュー」です。 日本で初めてのフリーランスレコーディングエンジニアである吉野金次氏(「風街ろまん」を始め、数々の名作の録音に係わり、多くのミュージッシャンからリスペクトを受けるレジェンドです)と鈴木氏との対談で、フリーランスになる前の東芝時代に、ザ・ビートルズ「アビー・ロード」のマスタリングをされてたり、元ザ・ランチャーズ喜多嶋修氏との幻のユニット「ジャスティン・ヒースクリフ」の話など、このレコーディング以外のご自身のことも大変に興味深かったりします。 本題のレコーディングでは、細野氏のベッドルーム(ミキシングルームに設定されてます)にセッティングされたミキシングコンソールやテープレコーダーを始め録音機材のすべてが吉野氏個人所有のもので、このホームレコーディングのプランも実は吉野氏の提案だったということなどなど意外な事実に驚かされます。 一曲目の「ろっかばいまいべいびい」のボーカルは細野氏自身の録音によるデモ音源が使われ、最終のミックスダウンだけが何故か茅ヶ崎の畑の真ん中の一軒家で行われ、畳の上の作業だった為完成時の音に影響してしまったことを反省されてたります。(ネタバレになるので、このくらいにします) |
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本の表紙の下半分の写真に写っているのがベッドルームでのミキシングの様子で、コンソールの向こうに見えるのがメインモニターの通称銀箱「Altec 612A」です。 |
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この本でインタビューされてた頃が前々作の「ヘブンリー・ミュージック」と前作「Vu Jà Dé」の間の時期と思われ、5-60年代のカバー曲などをバンド演奏でアプローチしていた時期で、細野氏も銀箱にも関心があったそうです。 ビートルズフリークの吉野氏がメインモニターに(アビーロードスタジオの写真に写り込んでいた)銀箱を選ぶのは、この時期当然に思えます(当時、日本でも標準的モニタースピーカーの一つだったようです)。 茅ヶ崎の畑の真ん中でのミキシングにも使われた銀箱「Altec 612A」とはどんなスピーカーなのか、考察しようと思います。 |
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Lansing HERITAGE、 hifilit.com 掲載の広告、カタログを参照し、形状と名称の考察をします。 http://www.lansingheritage.org/ http://www.hifilit.com/ |
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1939年のものと思われる、ランシング社の広告にある ICONIC 812。 |
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アルテック社に1941年ランシング社を吸収合併しアルテック・ランシング社になっていた1942年のカタログに ICONIC 812が、「Iconic Loudspeakers by Lanshing」の表記で表示されてます。 |
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1943年には、 ICONIC 812とは別にDUPLEX用エンクロージャーとして表記され、 |
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1945年には、DUPLEX用UTILITY CABINETとなり、 |
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1947年、DUPLEX用 CABINET 612表記され、 |
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1950年 604B DUPLEX 15用CABINETとして、612Aの表記が現れます。(ちなみに、600B DIA-CONE 12 用 キャビネットが、612Bとなってます。) |
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70年代に登場する後継キャビネットの形状と塗装が変更された612Cです。(銀箱の由来「シルバーのハンマートーン塗装」の理由は不明です。) |
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ICONIC 812システムも604DUPLEXシリーズも、発売当初は他社製品と比べずば抜けて性能が高かった為、その頃のスタジオモニターの標準として多く広まった様です。 |
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本を読み進めながら改めて聴き直した「HOSONO HOUSE」は、前半「ろっかばいまいべいびい」「僕は一寸」と続き「冬越え」までがザ・バンドなどウッドストックサウンドのアーシーでカントリーな感じで進み、後半の「福は内 鬼は外」や「住所不定無職低収入」などのトロピカルなサウンドがバン・ダイク・パークス(「ディスカバー・アメリカ」)の影響だったり、「薔薇と野獣」のファンキーな感じ(マービン・ゲイ風)などが次回作「トロピカル・ダンディー」のチャンキー・サウンドへと繋がる、過渡的かつ、実験性の高い(未完成な感じが漂う)作品だと改めて思いました。 ファースト 私の第一作 細野晴臣 1997/03/25 |
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そもそも細野晴臣とは、 はっぴいえんど、YMOなどでの中心的存在だったことはご存知かと思いますが、最近は、星野源を始め、高田渡氏のご子息の高田漣やウソノ晴臣ことオカモトズのハマオカモトなど、非常に若いミュージシャンとの交流も盛んだったり、海外では「HOSONO HOUSE」をはじめ、細野氏のソロワークが再評価され始めてます。 海外での評価のきっかけとなったのが、アメリカ、シアトルのレーベル『Light In The Attic 』から「Japan Archival Series」の第一弾として出されたこのコンピレーションアルバムです。 |
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「Even A Tree Can Shed Tears (木ですら涙を流すのです):Japanese Folk & Rock 1969-1973」Light In The Attic 2017.4.20 https://lightintheattic.net/releases/3178-even-a-tree-can-shed-tears-japanese-folk-rock-1969-1973 かなり渋く意外な選曲で驚かされます。(フォーク系の選曲が並ぶ中、「僕は一寸」が収録されてます) |
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ニューヨークタイムスweb版に掲載の関連記事がこちらです。 「The Hidden History of Japan’s Folk-Rock Boom」 https://www.nytimes.com/2017/10/27/arts/music/japan-archival-series-folk-rock.html |
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このシリーズの第二弾がシティ・ポップの Pacific Breeze: Japanese City Pop AOR & Boogie 1976-1986 https://lightintheattic.net/releases/4714-pacific-breeze-japanese-city-pop-aor-boogie-1976-1986 |
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第三弾がアンビエント、ニュー・エイジの KANKYO ONGAKU: JAPANESE AMBIENT ENVIRONMENTAL & NEW AGE MUSIC 1980-90 https://lightintheattic.net/releases/4088-kankyo-ongaku-japanese-ambient-environmental-new-age-music-1980-1990 どちらもかなり意外な選曲だと思います。(興味深いです) |
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昨年このレーベルから「HOSONO HOUSE」「オムニサイトシーイング」など数枚、細野氏のソロアルバムがリイシューされてます。 https://lightintheattic.net/artists/2475-haruomi-hosono アメリカの音楽メディアサイト『Pitchfork』に細野晴臣に関する記事 https://pitchfork.com/reviews/albums/haruomi-hosono-hosono-house-paraiso-cochin-moon-philharmony-omni-sight-seeing/ |
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もうすぐ発売される「Vampire Weekend」のニューアルバム「Father of the Bride」の収録曲「2021」は、細野氏が無印良品の店内用BGMとして制作したインスト曲「TALKING あなたについてのおしゃべりあれこれ」がサンプリングされてたり、 Vampire Weekend - 2021 (Official Video) |
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カナダ出身ミュージッシャンでYMOフリークのMac DeMarcoが「トロピカルダンディ」収録の「Honey Moon」を日本語でカバーしてたりします。 |
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と、海外での注目も高まる中、今年の5月末から6月にかけて、ニューヨーク、ロサンゼルスでの公演が予定されてます。 では何故「HOSONO HOUSE」は造り直されたのか(セルフリメイクされたのか)・・・ アルバムリリース時の音楽ナタリーのインタビューでは、前作「Vu Jà Dé」のインタビュー時にnever young beachのボーカル安部勇磨氏が「HOSONO HOUSE」への熱い想いを語っていたことに触発されてと言われてたり、 「そうそう、そもそも「HOCHONO HOUSE」のアイデアって、実はナタリーの取材の場にいた安部くんの発言の印象が強くて。だから本人にも「作り直しのきっかけは安部くんだよ!」とか言ったりしている(笑)。 音楽ナタリー 50周年イヤーに生まれ変わる「HOSONO HOUSE」 https://natalie.mu/music/pp/hosonoharuomi03 |
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「細野晴臣 録音術 」の吉野氏の締めくくりにも「細野さんは、みんなの良いところを引き出し、個性を発揮される方です。ヴィジョンが明快でブレがなく、理想のリーダーです。『ホソノ・ハウス』のセルフ・カバーをぜひやってください!」とあります。 |
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同じく、創刊50周年を迎える「MUSIC MAGAZINE」の今井智子氏の細野氏へのインタビューでは、「これだけ伺ってきてここで言うのも申し訳ないんですが、細野さん、ソロ40周年の時の小倉エージさんのインタビューで、『60代になった今、「HOSONO HOUSE」を丸ごとカヴァーしたら、あの頃やりきれなかったことが出来る」とおっしゃってるんです。」とあります。 |
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ミュージック・マガジン 2019年 4月号 (オマケに、創刊号のレプリカが、付いてました。) 画像はアマゾンより |
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私は「HOSONO HOUSE」のセルフリメイクが、実は、この時から動き始めたのかと考えます。(このライブ以降、バンドを従え昔のメロディーを口ずさんだりですから) HYDE PARK MUSIC FESTIVAL 2005 ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル(HYDE PARK MUSIC FESTIVAL)は、かつて埼玉県狭山市狭山稲荷山公園で開催されていたロックフェスティバル。2005年、2006年と開催されたが2007年には資金難のため中止となった。 2005年には園内初の本格的な音楽イベント(ロック・フェスティバル)として「HYDE PARK MUSIC FESTIVAL」が開催された。かつて狭山市・入間市にあった米軍払い下げの軍人用住宅(通称『ハウス』)に住んでいた元はっぴいえんど・YMOの細野晴臣を中心に、氏の友人や、氏の楽曲を聴いて育ったミュージシャンなどが集結した。 イベント最終日の9月4日夜、関東地方は歴史的な局地豪雨が降り、夜7時の時点でも豪雨は止まず排水機能がパンク。すり鉢状の観覧スペースに濁流が発生し、深さ40〜50cmの池が出現するなど、かつてのフジロック・フェスティバルでの悪天候を思い出させるような事態に見舞われた。観客の間でもイベント中止が囁かれたが、不思議なことに、大トリの細野晴臣の前に佐野元春が登場すると共に雨が止み、この2組の演奏が終わりイベントが終了すると再び土砂降りとなった。 (Wikipediaより) 「細野晴臣 録音術 」では、この時の様子をこんな感じで語られてます。 鈴木氏「・・・・豪雨の中、残ってくれた観客の姿を覚えています。不思議な湯気みたいなものが、ゆらゆらと動いてましたよね。」 細野氏「そう、映画『フィールド・オブ・ドリーム』みたいだった(笑)。それでステージに上がったら、観客が静かだったの・・・。でもなんかキラキラしてる。」 細野晴臣:ろっかばいまいべいびい@HYDE PARK MUSIC FESTIVAL 2005 細野晴臣:僕は一寸 @HYDE PARK MUSIC FESTIVAL 2005 |
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3月5日、amazon.co.jpから「HOCHONO HOUSE」(アナログ盤)が届きました。 今回細野氏は一人での打ち込み録音作業にあたり、以前使ってたソフトや機材の使えないものがあったりしたので、機材、音源、ソフトウェアなどを刷新された様です(がしかし、実際には新しい物はあまり使わなかったともおっしゃってます)。 モニタースピーカーも新しいものを導入された様で、それがこちら(銀箱からではなく、ディナウディオ・プロ M3 VEからの変更。) |
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musikelectronic geithain RL901K イースタンサウンドファクトリー http://esfactory.co.jp/products/musikelectronic-geithain.html |
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旧東ドイツのライプツィヒで創業された「musikelectronic geithain」ムジークエレクトロニク・ガイザイン社のスリーウェイ・アクティブモニタースピーカーのフラッグシップモデル「RL901K」。 音の色付けが無く、低域の回り込みがほとんどない(カーディオイド(単一指向制御))、近年、プロユースでは、大変に高く評価されているモニタースピーカーです。(坂本龍一や矢沢永吉も導入しているそうです) |
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「HOSONO HOUSE」のラスト「相合傘」から繋がるような演出の「相合傘〜Broken Radio Version〜」から始まり「薔薇と野獣」「恋は桃色」「住所不定無職低収入」と先行配信で聴いた(打ち込みの)新しいサウンドで進み、「パーティー」は昔のライブ音源で、「終りの季節」はインストロメンタル、ラストの「ろっかばいまいべいびい」はメトロノームとアコースティックギターとなります。「HOSONO HOUSE」のある種、不均質で未完成な感じまでも「HOCHONO HOUSE」にリメイクされた様に私には思われます。 夏前のアメリカでのライブや秋に予定されている50周年の様々な企画(<細野観光1969-2019>)などが落ち着いた頃に、何か新しいことを始められる予感がします。 次のお話はこちら、 「三遊亭圓生 人情噺集成」その一、その二、その三 CBSソニー1973 〜1974 SOGZ-1〜SOGZ-25 ですが・・・長くなり過ぎましたので今回はここまで、続きは次回にいたします。 |
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