|
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか、京都商品部 朴 高史です。 疫病の蔓延で、外出も憚れる今日この頃。しかし、自身のオーディオシステムに向き合える絶好の機会でもあります。気になるところをチェックし、改良、改善など色々と考えておりますと、なぜか仕舞っていた電動工具類のことが頭をよぎり、 |
|
|
この人の顔が浮かんで来ました。「オーディオ批評界の巨人・長岡鉄男」 |
|
|
|
|
写真は 『長岡鉄男・編集長の本 ヴィジュアル・オーディオ・パワー 感音力』音楽之友社 1999.4.01 裏表紙より |
|
|
オーディオに関わっているとちょくちょく目にするお名前なのですが、あまり詳しくは知りませんでしたので、いろいろと調べました。 戦前の1926年(大正15年)1月5日、現在の東京、原宿の表参道あたり(当時は穏田、現在は港区青山)で生まれる。幼少期は、あの青山同潤会アパートメント(現、表参道ヒルズ)で暮されたそうです。少年期は勉強は好きでなく、学業以外の本ばかり読んでいたとのこと。戦時中は兵役から逃れる為航空学校へ入学したが、勉強はできず東京帝国大学航空研究所の工員として実験作業ばかりで過ごし、終戦を迎えます。 戦後、雑学を生かし文筆でキャリアを始めます。「あまからクラブ」〈注−1〉というクリエイター集団(コント、クイズ作家や漫画家)に所属し、ラジオ、雑誌等の企画で生計を立て始めます。この頃、元々の音楽好きからレコード、ラジオ、蓄音器(電蓄)等のオーディオとの関わりが始り、オーディオシステムを揃え始めます(終戦直後は何もないので拾い集めたガラクタでラジオを組み立て続けたとのこと)。 同クラブの一員だった漫画家の久里洋二氏(当時のペンネームは久里洋三)と一緒に出版社を回っていて、雑誌「音楽の友」で漫画によるコンサートホール・リポートが採用となり、オーディオ系物書きへの第一歩となります(当時のペンネームはとみおか鉄瓶)。 |
|
|
音楽之友 昭和31年5月号 画像は「日本の古書屋」website より https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=259814836 |
|
|
戦後復興期から高度経済成長期に入り、オーディオも多様性を見せ始めた1963年、月刊オーディオ専門誌「ステレオ」〈注−2〉が創刊され、また既にあった同じ音楽之友社刊行の「レコード芸術」などで、オーディオ、レコード専門の執筆が始まります。70年代に入り、共同通信社のFM情報誌「FM fan」(別冊FM fan)〈注−3〉、70年後半には、音元出版の「オーディオアクセサリー」と活躍の場も広がり、その風貌とオーディオに対する厳しい姿勢で、大御所的存在感(頑固親父)の論客として活躍します。 連載内容は、オーディオの新製品評価に始まり、製品の聴き比べ(時には、読者を混えることもあり)や、自身が直接、読者宅へ出向いて、オーディオシステムのアドバイスをする「オーディオ・クリニック」、レコード評、そして自作スピーカーの発表、などなど。読者の中には、熱狂的な崇拝者も多数現れることとなります(アンチも現れます)。 |
|
|
![]() |
|
![]() |
|
私が感じる長岡のオーディオ批評の姿勢は 「自身は、ズブの素人であり、(音響工学の学者でも、オーディオメーカーのエンジニアでもなく)読者と同目線である」 「評価するオーディオは、正確に再生する性能(オーディオとしての機能の高さ)と、それに見あった適正な価格(コストパフォーマンスの高さ)」 と至極真っ当な事なのですが、真っ当が過ぎて突出する感じかと思われます。 そんな長岡の真っ当過ぎるオーディオへの姿勢がよく現れているのが、やはり自身使用のオーディオシステム。 自作スピーカーの名作「D-101 スワン」が発表されたのが1986年(別冊FM fan 1986春号 No.49に掲載)、その翌年の1987年の週刊FM fan NO.1号の記事「立花隆のオーディオ評論家探検・音の求道者 長岡鉄男」で、長岡の当時のシステムが紹介されました。 |
|
|
FM fan 12/29-1/11 1987 NO.1 共同通信社 |
|
・スピーカー 自作バックロードスピーカー「D-70」FOSTEX FE206Σ×2×2 + YAMAHA JA-0506-2 ×2×2 直菅連続型で、20センチフルレンジユニットの二台使用に、ハイ落ち補正のツィーターも二台使用で、当時、最強の長岡式バックロードシステム。高能率且つハイスピードサウンドだったとのこと。しかしパーツが多く、組み上げるのは大変だった模様。(ツィーターは誌上写真からの推測です) |
|
|
![]() |
|
|
|
こちらは着色が施され、ユニットも違う物になってます。 20cmフルレンジユニット:FOSTEX FE206En ホーン型ツイーター:FOSTEX FT66H |
|
|
・自作スピーカー「D-101 スワン」FOSTEX FE106Σ ×2 スワンシリーズの原型となるシステム。立花隆も驚きの低音だったとか。 |
|
|
![]() |
|
|
|
写真は、FOSTEX FE108Σ を使用した「D-101Sスーパースワン」です。(形状も少し変わってます) |
|
|
・パワーアンプ Lo-D HMA9500-2(1982年) 技術の日立!日立製作所のオーディオブランド「Lo-D」〈注−4〉が、1977年に世界で初めて自社開発のパワーMOS FET素子を採用し低歪み且つ、広域再生を実現したDCパワーアンプ「HMA9500」を基に、1982年さらにノンカットオフA回路を採用、パーツを厳選し、より性能を高めたモデル。特性がフラットで、超ワイドレンジ且つ低歪みを実現した、長岡が18年間も使い続けた愛機とも言えるアンプ。 |
|
|
![]() |
|
・プリアンプ DENON PRA-2000Z(1983年) 1979年に発売された、デノン初のセパレートアンプ「PRA-2000」の後継モデル。得意のアナログ再生部の機能を更にグレードアップさせた、鮮烈リファインモデル。(イコライザーアンプ部とヘッドアンプ部のみを使用とのこと) |
|
|
![]() |
|
・アナログプレーヤー Technics SP-10 Mk3 (1982年) DDターンテーブルのオリジネーター「テクニクス」による SP-10シリーズの最終モデル。クオーツ制御モーター、クオーツシンセサイザー・ピッチコントロールの最高精度ターンテーブル。 |
|
|
![]() |
|
・トーンアーム Technics EPA-100Mk2(1982年) アーム部にチタニウム・ボロン鉱パイプを使用し、シェルはボロンアルミニウムで、軽量且つ、制振性の高さで、高精度のトレースを実現。 |
|
|
・カートリッジ Victor MC-L1000(1986年) 超微細発電コイルをダイアモンド針の上部に直節結合させる「スーパーダイレクトカップル方式」を採用し、カンチレバーなどの影響が皆無で、正確な再生を実現。 |
|
・CDプレーヤー SONY CDP-553ESD(1985年) ・D/Aコンバーター SONY DAS-703ES(1986年) セパレート型CDプレーヤーの原型的モデルの一つ(前年のCDP-552ESD、DAS-702ESがセパレート型の最初のモデルです) |
|
|
![]() |
|
スピーカーケーブルには工事現場用600V耐圧キャブタイヤケーブル「富士電線工業/VCT5.5」が使用されてました。 |
|
|
このままでも国産の名機が揃う長岡らしいオーディオシステムかと思われるのですが、ほぼ全ての機器の上には、鉛のインゴットが積み上げられてます。オーディオ・スタビライザー〈注−5〉です。 このスタビライザーの発端はこんな感じです。 『不思議の国の長岡鉄男(1)』「よりぬきワンダーランド」”アンプへのウェイト付加で音質は果たして良くなるのか”(1981年季刊オーディオアクセサリー22号掲載)冒頭より抜粋 -------- 音と重量の関係「音は重量に比例するのでは無いかと気がつき始めたのは、モノラル時代の末期である。当たり前のことだが、高価なパーツはみんな重かった。高いものはいい素材を使ってしっかり作るから重い。重いから音がいいのではなく、高いから音がいい、副産物として重くなるだけだ、と昔は考えていた。ところがいろいろいじっているうちに、価格に関係なく、重量と音質との間にはなんらかの相関があるのではないかと思うようになってきた。理屈では無い、体験的直感である。 --------(抜粋以上) 様々なアンプに鉛板を乗せ、読者を交えたヒアリングテストが行われました。読者は概ね音質の良好な変化を感じたようです。この様なテストは何度か行われて話題となり、長岡の代表的なオーディオ・チューニングとして広まりました。 その際使用された鉛インゴットがオーディオ専用アクセサリーとして商品化されたのが、「TGメタル」(田代合金所)です。ハイファイ堂にたまに入荷があります(私が入社当時の、不思議な買取品の一つでした)。 このように、読者ばかりではなく様々なメーカーからも注目されていたようです。 |
|
|
「TGメタル」(株式会社 田代合金所) |
|
|
1987年、不動産の高騰以前に入手した越谷の住居と地続きの90坪の土地に、理想のオーディオ・ヴィジュアルの実験棟、通称「方舟」が完成します。長年温めていた長岡の音響と映像に対する拘りと野望が詰まったその建物は、信者たちの聖地となります。「方舟」では、自作スピーカーはもとより、映像や音響に纏わる様々な物が試されました。 その中で私が注目したのは、オーディオ・チューニングの入り口とも言える「AC電源ケーブル」。 1990年代後半、アンプやCDプレーヤーの電源ケーブルが着脱式になり始めたことで、各社から交換用のケーブルが出始めます。たまたまケーブルを交換してみたら、大きな変化に驚いた長岡が提案した企画が「電源ケーブル交換によって音質は向上するのか?」(1998年季刊オーディオアクセサリー88号掲載)です。違いがわかりやすいように現実的な2万円以下のものを限定して比較しました。長岡は様々な音質変化を実感し、以降、電源回りのチューニングにのめり込みました。 次の89号、90号では「長岡流ハイCP(コスト・パフォーマンス)電源ケーブルの自作にチャレンジ」と銘打ち、「方舟」の機器類の電源ケーブルを自作する企画を始めました。ハイCPですので、ケーブルはやはり3.5㎟キャブタイヤケーブル、音質を考えてプラグは当時話題となっていたホスピタルグレード物が数種類比較されます。コネクターは当時一般的な数百円の物しかなく2種用意しました。極性、結線法、質量、直流抵抗などを揃え、様々な機器で音質比較を繰り返し、決定しました。 |
|
|
・プラグ 「ME2573」(明工社) ・ケーブル 3.5㎟キャブタイヤケーブル ・被覆材 熱収縮チューブ「スミチューブF15φ」(住友電工)、FLチューブ(編組スリーブ)6φ ・インレットコネクター「AP-400」(YAMATE) 多分、信者たちは全く同じケーブルを自作する事になったのでしょう。私も作ってみようかと思ったりしてます。 |
|
|
この連載のすぐ後、ほかに選択肢のなかったインレットコネクターにオーディオ用のハイグレード仕様ができます。 ・インレットコネクター「FI-15」(フルテック) ハイファイ堂店頭のショウケースに並んでたのを思い出します。 |
|
現在でも製造販売されているこちらの電源ケーブルも、この連載企画が元となり開発商品化されたものと思われます。 ・電源ケーブル Chikuma Accuracy Ac (画像引用:Chikuma公式webサイトより) http://www.chikuma-s.com/products/accuracyac.html#tab2 ハイファイ堂在庫情報↓ https://www.hifido.co.jp/20-28969-35929-00.html?KW=CHIKUMA&G |
|
|
![]() |
|
と、また長くなってしまいました。 厳しいオーディオ評論を繰り広げる一方で、「長岡鉄男といえば自作(BH)スピーカー」と言われるほど自らも延々とスピーカーを作り続けました。長岡とスピーカーとの深い深い関係については、また次の機会に。 では、失礼します。 |
|
|
※脚注 〈注−1〉メンバーに永六輔、能見正比古やうらべまことがおり、三木鶏郎付きの作家集団トリローグループに関係する会かも知れません。 〈注−2〉雑誌「ステレオサウンド」の創刊が、1966年11月。 〈注−3〉1966年刊行された、日本初のFM情報誌 〈注−4〉low distortion-低歪み が、ブランド名の語源。 〈注−5〉全てのオーディオ機器は、動作中僅かな振動があり、それによって音質の劣化が生じる、スタビライザー(鉛インゴット)により、その振動を抑え、音質の向上を目指す。 ※参考文献 『開拓者 長岡鉄男』2001年、共同通信社 『不思議の国の長岡鉄男(1)』2001年、音元出版 『長岡鉄男・編集長の本 ヴィジュアル・オーディオ・パワー 観音力』1999年、音楽之友社 ほか、雑誌記事名は本文中の記載をご参照ください。 |
|







