こんにちは、レコード店の片岡です。まだ6月始めだというのに30度超えの真夏日が。このままだと夏が来る前に夏バテをしてしまいそうです、、、。 そんな暑い日に合う音楽が世の中にはたくさんあります。軽やかなリズムと涼しげな音色を持ったボサノヴァは今日の日本でも親しまれる代表的なジャンルではないでしょうか。今回はそんなボサノヴァについて誕生から現在までぐるっと書いてみたいと思います。 |
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「汐、太陽、南」ボサノヴァは海のある暑い南の国、ブラジルで誕生しました。 1940年以降、ジャズがアメリカの大衆音楽であるスイング・ジャズから発展した様に、ボサノヴァもブラジルの大衆音楽のサンバから発展していきました。 そして1959年、音楽にとって大きな年が来ます。バディー・ホリーとともにロックが死に、マイルスが「KIND OF BLUE」を発表、ジャズがモードへと大きく舵を切り始めました。時を同じくして地球の裏(ブラジルから見たら表)ブラジルではジョアン・ジルベルトが「CHEGA DE SAUDADE(シェーガ・ジ・サウダージ)想いあふれて」を発表。アントニオ・カルロス・ジョビンの土着的なメロディー、ブラジルの外交官でもあった詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスのセンチメンタル・ブラジアリアンな歌詞、そしてジョビンのギターから鳴らされる2拍子のリズム(バチーダ奏法)はリオはおろか当時のブラジル国中を鷲掴み。モダン・サンバでは無く、ボッサ(粋な)ノヴァ(新しい)「ボサノヴァ」という言葉が生まれ、一大ムーヴメントを巻き起こしました。 |
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(左)JOAO GILBERTO/CHEGA DE SAUDADE 後にアメリカでは「NO MORE BLUES」に変身。 (右)MILES DAVIS/KIND OF BLUE ジャズの転換期を示唆したジャズの重要作。 |
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その年、アメリカではもう一つ大きな事件、キューバ革命が勃発。それまで容易に入手出来た南国の音楽、ジャズでも人気の「ベサメ・ムーチョ」「アフロキューバン」などのマンボやルンバは近くて遠い国のものに。自分たちでどうしても作り出すことの出来ないリズムの南国の音楽をアメリカに残った(帰れなくなった)トロピカリアン達と共作。サルサを生み出し、南国音楽を引き続き楽しむことができました。しかし貪欲なアメリカ人は近場で見つからないなら遠くまで探しにいけばいいじゃないかと、アマゾン川を下りちょうどボサノヴァがガンガンにかかっていたブラジルへ。今までの南国音楽とは違い都会的でハイセンスなボサノヴァを迷うことなくお持ち帰りとなりました。 |
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(左)CARLOS LYRA/BOSSA NOVA ジルベルトと同時期にボサノヴァというタイトルのアルバムを発表したカルロス・リラ。 (右)ART PEPPER QUARTET 「ベサメ・ムーチョ」の名録音。 |
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60年代に入り、本家ブラジルのボサノヴァは早くも下火に。64年には他国同様ブラジルにもビートルズが上陸、また内政も影響し、ボサノヴィスタ達もアメリカの古参ジャズミュージシャン達と同様、稼ぎ場所をもとめて国外での活動を余儀なくされます。ブラジルではその後、MPB(ブラジルの歌謡界)の中で静かな息をすることになります。 それとは裏腹にアメリカではボサノヴァが大流行。スタン・ゲッツとジルベルトが組んだアルバムがジャズアルバムとして空前のヒットを誇ると、それまでロックに近いファンキー路線に偏っていたジャズが、踵を返すように南国音楽ボサノヴァ路線へと。この流れは日本にも広がり、ボサノヴァは世界中で演奏されるようになりました。 |
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(左)GETZ/GILBERTO 一番有名なボサノヴァ曲「イパネマの娘」を収録、グラミー賞も受賞。 (右)HANK MOBLEY/DIPPIN' 名門ブルー・ノートでも数多くのボサノヴァの曲が演奏されました。 |
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しかし、アメリカで爆発的なヒットをしたボサノヴァは、正確には本来のブラジルのボサノヴァではなく、アメリカナイズされたものでした。本来のボサノヴァはポルトガル語で歌われ、韻を踏まれた歌と伴奏が絶妙のリズムを生み出します。アクセントの違う英語に変えてしまってはその旨味は当然なくなります。さらに中には、ブラジルが包まれた大切な詩も、メロディーに都合の良いものに変えられる始末。結局アメリカでのボサノヴァはブラジルの音楽ではなく、南国の音楽の一つとしてしか扱われなかったのです。(左)EYDIE GORME/BLAME IT ON THE BOSSA NOVA HANK MOBLEYも演奏した「RECARD BOSSA NOVA」に歌詞をつけて大ヒットしました。 |
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70年代に入り、アメリカのポップ・ミュージック化したボサノヴァも下火に。20年続いたボサノヴァの火がとうとう消えようとしていました。 そんな中、息を吹き返してきたのが往年のボサノヴィスタ達。アメリカで成功を収めたジョビンやジルベルトも原点回帰と言わんばかりにブラジルを起因としたボサノヴァを吹き込みます。(アメリカでの全盛期時代、本国ブラジルではアメリカに魂を売ったと非難されていたようです。)1974年に発売されたブラジルの大物歌手エリス・レジーナとジョビンの共作はその象徴でもあり、アルバム「Elis & Tom」はボサノヴァ及びブラジル音楽の一つの到達点とも言われています。1曲目「Águas de Março(3月の雨)」は未聴のかたは是非聴いていただきたいです。https://www.youtube.com/watch?v=gqavRbAhQzY 他国が真似できないブラジルの音楽が感じとれると思います。 |
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(左)ELIS & TOM ボサノヴァがその後息を吹き返した分岐点とも言えるアルバム。 (右)BEBEL GILBERTO/TANTO TEMPO ジョアン・ジルベルトの愛娘。ボサノヴィスタの魂はしっかり受継がれています。 |
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現在もボサノヴァはジョアン・ジルベルトの娘ベベル・ジルベルトなどの活躍もあり、形こそ変わっていますが、ブラジル・イズム「ブラジリダーヂ」を充分に感じられる楽曲が多く作られています。 文量の関係で少々荒っぽくなってしまったところもありますが、ボサノヴァの変遷を書いてみました。興味を持っていただいた方は、今夏は是非ポルトガルのボサノヴァを聴いてみてはいかがでしょうか。 |