|
こんにちは。レコード店の松田です。 今回は以前ご紹介させていただいた60年代前半のポップス女性歌手の第2弾を書かせて頂こうと思います。 こちらが以前のメルマガです。 ハイファイ堂メールマガジン第720号掲載「60年代カバーポップス」 https://www.hifido.co.jp/merumaga/2f/171117/index.html よろしければこちらも合わせてお楽しみください。 |
|
|
まず最初に正真正銘の姉妹グループ、ベニ・シスターズをご紹介します。 アメリカではガールズ・グループがブームとなっていましたが、同じ頃、日本ではベニ・シスターズがポップス系の唯一のガールズ・グループでした。 元々、妹2人のタップダンスのコンビとして活動していたところに、長女が加わり駐留軍のキャンプやナイト・クラブなどでボーカル・グループとして活動してました。 シングルでデビューして売れればアルバム制作という流れがお決まりの時代の中、異例となるアルバムでのデビュー。 すでにTV番組や、ジャズ喫茶で大活躍だった彼女達は、レコード会社の期待の星として堂々のデビューを飾りました。 フレディ・キャノンのカバー「トランジスタ・シスターズ」はベニ・シスターズの自己紹介ソングとして訳詞され、お上品で粋なハイティーンの彼女達のイメージにぴったりの1曲。 姉妹ならではの息の合った3声コーラスがバッチリ決まっています。 |
|
|
12才という若さでデビューした、パーマヘアに小さなリボンがトレードマークの梅木マリは、「トムとジェリー」のあの有名な主題歌を歌った歌手。 小さな頃は体もか弱く「甘えん坊で内弁慶な性格を直したい」という母親の願いもあり、3才から歌のレッスンをうける様になりました。 8才から児童合唱団に参加したり、9才で劇団ひまわりに入団し、主役を務める事もあったそうです。 メンバーに従兄弟がいた縁で、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズのレコーディングを見学しに来ていたところをスカウトされ歌手デビュー。 クセのあるシャックリ唱法とローティーンならではの可愛らしい選曲がとっても魅力的です。 当時は同世代の男の子からの評価はあったものの人気はイマイチ。 しかし今では日本の60s女性歌手好きから絶大な支持を得ており、レコードは高値がつきマニア泣かせのアーティストです。 |
|
梅木マリのようなローティーン歌手が続々と登場し、さらにはその下を表す「ミルクティーン」なんて言葉が生まれる程に若年化していた芸能界に現れた異色の歌手、麻生京子。 高校生実力派女性ロックンロールシンガーとして62年に「ハンガリア・ロック」でデビュー。 「和製ワンダ・ジャクソン」とも呼ばれたパワフルな歌声は、当時の歌手の可愛い子ちゃんアイドル化とは真逆の不良っぽいカッコ良さで人気を確立しました。 67年に麻生レミに改名。 内田裕也とザ・フラワーズに加入。 日本の女性ロック・ボーカリストの草分け的存在となりました。 |
|
| |
ツイスト娘としてキング・レコードから売り出された伊藤照子。 父は俳優、弟はTVタレントという芸能一家で育ちました。 活動期間は短くわずか半年程でしたが、その間にツイスト曲中心に5枚ものシングルをリリースしました。 ハキハキとした日本人らしい真面目な歌い方が好印象です。 やはりなんといっても、和製ツイストナンバーの「さくらツイスト」は最高の1曲です。 ジャパニーズ・ライクな渋いサックス&エレキギターの歌謡演歌の様なアレンジと、ご機嫌でアップテンポなロックンロールを融合させた「踊れるのか踊れないのかわからない」名アレンジ(迷アレンジ?)はこの時代だからこそ生まれた曲と言っても過言ではない気がします。 |
|
歌手、女優として現在も第一線で活躍する木の実ナナも62年デビューのポップス・シンガー。 友達のオーディションに付き添いで行って、楽しそうだからと飛び入りで参加して唯一知っていた「カラーに口紅」を披露。決勝まで進み見事合格してしまったというラッキーガール。 ナベプロのレッスン生となり、稽古に通っていたが「自分の声はヘンテコだし、おてんばな性格で男の子達とふざけて遊んでしかられちゃうし、やめちゃおっかな」と思っていたそう。 しかし作曲家の「まともな歌手ばっかりでは代わり映えしないし、三枚目でユーモアのある女の子が欲しい。できれば男の子も蹴っ飛ばしちゃうくらいの元気な子」というオファーに木の実ナナがピッタリと当てはまり「東京キカンボ娘」でデビューしました。 デビューと同時にTV番組のレギュラーに抜擢されロカビリー歌手の鈴木やすしとともに猛プッシュされました。 当時はスラックスにサスペンダーというスタイルがトレードマーク。 |
|
|
![]() |
|
ダニー飯田とパラダイス・キングの専属歌手としてデビューした九重佑三子。 パラダイス・キング後援会のパーティーの手伝いをしていた所「君は変わった声をしているね」とスカウトされダニー飯田に師事。 62年にパラダイス・キングに加入し、63年に出した「シェリー」が大ヒットとなり人気歌手となりました。 パラダイス・キングに在籍した2年間で「ミスター・ベースマン」「ネイビー・ブルー」などのヒット曲を残しました。 その後独立し、女優としての活動や最年少で紅白歌合戦の司会を務めるなど幅広く活躍しました。 主演を務めたTVドラマ「コメットさん」は日本のみならず中南米でも人気を博し、「メキシコで有名な日本人」の第3位に輝きました。 |
|
|
森山加代子に次いで明日のポップス界を背負って立つ女性歌手と期待されたハイティーンのウエスタン歌手斉藤チヤ子。 容姿端麗で高校生の頃から女優として数本の映画に出演。 友達の影響でウエスタンの魅力に取り付かれた彼女は独学でギターを勉強し、ウエスタンカーニバルに参加。 抜群の存在感を放ち見事入賞。 それを期に猛烈な映画出演のオファーを全部断り、歌手としてデビューしました。 近代的なスラリとしたルックスにウエスタンルックがバッチリ似合う女性歌手としてロカビリー嵐が過ぎ去った後の日本カントリー界で活躍しました。 事務所の方針として「ポピュラーも歌えるウエスタン歌手」として育てられたため「小さい悪魔」「涙のラブレター」などのポップス曲も残しています。 |
|
レコード会社の方針やキャラクター戦略などで同じ時代の歌手でもそれぞれに個性的で違う魅力があります。 その全く違うキャラクターの歌手同士が競作で同じ曲をリリースしたりしているので、なおさら聴き比べる面白さがあると思います。 ただただ聴いても素晴らしいポップスですが、アーティストの売り出し文句や当時のインタビュー記事などを読みながら「フムフム。」と日々楽しんでいます。 今回は女性歌手について書かせて頂きましたが、いつか男性歌手編についてもご紹介できたらなと思っています。 |
|







