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こんにちは、レコード店の松田です。 今回は前回ご紹介しきれなかった「60年代前半に活躍した男性歌手」の第2弾を書きたいと思います。 前回のメルマガ ハイファイ堂メールマガジン第815号 「60年代前半に活躍した男性歌手」 https://www.hifido.co.jp/merumaga/2f/190913/index.html ※前回のメルマガで書き落としがありましたのでここに書き添えます。 小坂一也は50年代後半を中心に活躍した歌手です。活躍時期がテーマに掲げた年代より早いのですが、ロカビリーブームの礎を作った歌手として外せない人物として、あえてご紹介しました。 |
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【飯田久彦】 61年に「悲しき街角」でデビュー。 翌62年に、日本のオールディーズ大定番曲「ルイジアナ・ママ」で大ヒットし、その年の男性ポップス歌手の人気ナンバー1に輝きました。 彼の同級生であった坂本九からの薦めで歌手になり、他の硬派なロカビリー歌手達とは別枠の親近感溢れるキャラクターで2代目坂本九とも呼ばれました。 やわらかく日本人らしい歌声にコーラス多めのティーンポップス調の楽しい楽曲が多く、中でも「涙のさようなら」のB面に収録された「トランジスター・シスター」はサウンド、歌声、当時の人気歌手の名前を盛り込んだ歌詞と、その時代の流行ポップスを全て詰め込んだ素晴らしい1曲です。 60年代後半には歌謡曲歌手となりますが、人気は下降線。70年代に入りレコード会社のアルバイトを始め、その後ディレクター&プロデューサーに転身。 ピンク・レディ、松崎しげる、小泉今日子、SMAPなどを手掛け大成功を収め、音楽業界に大きな功績を残しました。 |
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【鹿内タカシ(現:鹿内孝)】 小学5年〜高校2年まで教会の聖歌隊にいました。 18歳の頃に聴いた、ジーン・ヴィンセントの虜となり、来日の際にバックバンドを務めていたブルー・コメッツのライブに入り浸るようになり、60年に専属ボーカルとなりました。 62年にオリジナル曲「俺は最低な奴さ」でレコードデビュー。 当時のロカビリー歌手はティーン中心のアイドル要素のある歌手が人気でしたが、彼のルックスが大人び過ぎていたため、異色のハード・ボイルド路線で売り出されました。 「霧の中のジョニー」や「片目のジャック」などウエスタン色の強い楽曲、海外のスパイ映画のサントラのようなジャジーなオーケストラが印象的な「地下室のメロディ」など、男のクールなカッコ良さのある歌手です。 |
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【フランツ・フリーデル】 ドイツ人の父と、日本人の母の間に生まれドイツで育つ。 母から聞いた日本の話に興味を持ち、58年15歳の頃に単身来日。 たまたま訪れたジャズ喫茶の魅力にハマり、60年頃からブルー・コメッツのゲストボーカルとして出演するようになります。 61年に「愛の子守唄」でレコードデビュー。 「電話でキッス」がヒットし、その歌唱力と整ったルックスで人気となりました。 日本語詞の曲が多いですが、ほんの少しカタコトな歌唱と、大人びた歌声&迫力のあるスキャットが絶妙なバランスです。 69年に歌謡曲歌手「津川晃」と芸名を変え再デビュー。 70年に発売された「五月のバラ」は尾崎紀世彦やブレンダ・リー、近年では秋川雅史などにカバーされ歌謡スタンダード・ナンバーとなりました。 |
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【鈴木やすし(現:鈴木ヤスシ)】 59年から約2年間、渥美清に師事しコメディを勉強。 61年頃からジャズ喫茶に出演するようになり歌手、そして司会者として才能を発揮し人気を博していました。 ジャズ喫茶に出演していた所をスカウトされ、TV番組の司会者兼歌手として活躍しました。 ジャズ喫茶時代から十八番だった「ジェニ・ジェニ」を始め陽気でゴキゲンなロックンロール・カバーから、「社長さんはいい気持」などコミック調のオリジナルソングなど、65年までに20枚以上のシングルを発売しました。 その後も、司会者、俳優、声優業など幅広く活躍しています。 |
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【藤木孝】 56年に歌手になる決意をし高校を中退。浜口庫之助に師事し日本人特有の“盆踊りのリズム感”から黒人のものへと徹底的に矯正された。(それでも今聴くと、相当な頭打ちの節回しではありますが…) その後渡辺プロと契約。スター性を見込まれザ・ピーナッツの前座歌手として全国を回るようになります。 当時、渋いジャズ志向で「ロカビリー音楽など若気のなせる業、恥さらし」とまで軽蔑していたそう。 そして日劇ウエスタン・カーニバルへの出演が決まりスターになりたい一心で、不本意ながらジャズを捨てロック歌手となりました。 61年にデビュー盤「24000のキッス」が大ヒットし、黒づくめの衣装にセクシーなツイストで人気は絶頂に。 「ツイストNO.1」や「ママのツイスト」「ツイスト・フラ・ベイビー」などツイスト曲を立て続けに発売し「ツイスト男」の異名を取りました。 しかしそんな絶頂期に契約半ばで引退。 本格志向だった彼はミュージカルや映画など役者としてカムバックし、現在まで多くの作品に出演しています。 |
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【清野太郎】 50年代後半のロカビリーブーム絶頂期に活躍した歌手。 「クレイジー・ラブ」や「ホンキー・トンク・マン」「ダイアナ」「ザ・ツイスト」などの人気曲を吹き込んでいますが、いずれも他の歌手のレコードは派手なオーケストラ伴奏を使ってることが多かったのに比べ、彼の吹き込みはシンプルなバンド編成の元祖ロカビリーサウンドが多い印象です。 シェブ・ウーリーのヒット曲でテープの早回しを使ったユーモアのある「ロックを踊る宇宙人」をカバーしヒット。 この曲は1995年にちびまる子ちゃんのエンディングテーマ「針切りじいさんのロケン・ロール」というタイトルで、さくらももこ作詞、植木等歌唱、大瀧詠一編曲でカバーされていたのでご存知の方も多いナンバーかと思います。 |
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歌手のキャラクター性は様々で、楽曲のジャンルもカントリー、ロカビリー、ティーンポップス、ロックンロールなどとバラバラな中、レコード会社のイメージ戦略でひとくくりに「ロカビリー」とされていました。 逆に様々なジャンルの歌手がいたからこそ、聴き手の間口も広がり多くのファンを虜にした大きなムーブメントになったのだろうと思います。 |
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