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こんにちは、レコード店の松田です。 前回に続き1960年代の年間レコード売り上げランキングの後編、1963年〜1965年をご紹介したいと思います。 ご紹介するランキングについて前編にて概要を説明しておりますので、併せてお楽しみください。 ハイファイ堂メールマガジン:第829号「1960年代レコードランキング・前編」 https://www.hifido.co.jp/merumaga/2f/191220/index.html 参考資料 ・WEBサイト「年代流行」 https://nendai-ryuukou.com/1960/song.html ・書籍「ミュージック・ライフ 東京で1番売れていたレコード 1958〜1966」(監修・著)澤山博之、(出版)シンコーミュージック |
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●1963年● |
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【年代流行ランキング】 1位 こんにちは赤ちゃん/梓みちよ 2位 見上げてごらん夜の星を/坂本九 3位 高校三年生/船木一夫 |
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【東京で1番売れたレコード】 1位 ヘイ・ポーラ/田辺靖雄・梓みちよ 2位 悲しきハート/弘田三枝子 3位 いつでも夢を/橋幸夫・吉永小百合 |
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年代流行第1位は梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」。永六輔作詩、中村八大作曲の六八コンビによる楽曲です。 人気TV番組「夢であいましょう」で紹介され大反響。現在でもこの曲を知らない人はいないであろう有名曲となり彼女の代表曲となりました。 2位の「見上げてごらん夜の星を」は元々ミュージカルの主題歌として作られた曲。 作詩のいずみたくによると「レコードで聴くよりも、口ずさみたくなる歌」であり当時は曲のヒットの割にレコードの売れ行きは微妙だったそうで、「東京で1番売れたレコード」のランキングを見ても発売月に1度3位にランクインしたのみとなっています。 3位の「高校三年生」は船木一夫のデビュー曲。発売1年で100万枚を超えるセールスを記録しました。 東京で1番売れたレコード第1位は5月リリースの田辺靖雄・梓みちよのマイ・カップルによる「ヘイ・ポーラ」。 ボサノバ娘として売り出されて鳴かず飛ばずだった梓みちよと、新人歌手田辺靖雄の出世作となりました。この後11月に「こんにちは赤ちゃん」の大ヒットもあり、63年は梓みちよにとって大きな転機となる1年でした。 先日1月29日に76歳でお亡くなりになられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。 第2位「悲しきハート」は弘田三枝子によるスーザン・シンガーのカバー曲。原曲はヒットせず日本独自のヒット曲となりました。 彼女特有のパンチのある歌声の中にも切なさのまじったミディアムテンポのラブソングで、その絶妙なバランス感は当時他の歌手が歌っていたらヒットしなかったのではないかと思わせるほどです。 竹内まりやにカバーされており、2109年発売の最新アルバムに収録されています。 第3位は62年の年代流行1位に輝いた「いつでも夢を」。 62年11月〜63年2月にかけて4カ月連続1位を記録しています。 |
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●1964年● |
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【年代流行ランキング】 1位 明日があるさ/坂本九 2位 君だけを/西郷輝彦 3位 幸せなら手をたたこう/坂本九 |
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【東京で1番売れたレコード】 1位 ラストダンスは私に/越路吹雪 2位 泣きぬれて(泣いている花嫁)/ペギー葉山 3位 サン・トワ・マミー/越路吹雪 |
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第1位は坂本九の「明日があるさ」。恋に奥手な主人公を明るく歌った1曲。64年に始まった坂本九がホストを務める同タイトルのTV番組の主題歌となりました。 2000年に吉本芸人出演のコマーシャルで楽曲がカバーされ話題となり、翌年には「明日があるさ」が流行語大賞に入賞するなど社会現象となりました。 2位の「君だけを」は63年創立の日本クラウンレコード新人専属歌手第1号、西郷輝彦によるデビュー曲。立て続けにヒット曲を出し日本歌謡界の御三家の一人となりました。 3位の「幸せなら手をたたこう」は大学教授であり研究家の木村利人による作詩。 学生時代にボランティアでフィリピンに行った際にこの曲に出会い、戦争の傷跡が残る現地で感じた「共に手を叩いて喜び、態度に示し、助け合おう」という願いをこめて作詩されました。 仲間内の愛唱歌として歌っていたものをたまたま坂本が耳にし、うろ覚えのままいずみたくに採譜を依頼しレコード化されたため、発売されたレコードのクレジットは作曲者不明となっています。 東京で1番売れたレコードの1位は61年11月発売の「ラストダンスは私に」。 作詩は越路の歌うシャンソンの訳詞を多く手掛け、彼女のマネージャーとして生涯連れ添った岩谷時子です。 越路・岩谷による楽曲だったのと、小気味の良いラテン調のリズムだったのも相まってシャンソンだと勘違いされていることも多いですが、アメリカのコーラスグループであるドリフターズのカバーです(その後フランス語でカバーされ現代ではシャンソンの1曲として認識されているようです)。 東京で1番売れたレコードのランキングの始まった58年〜65年の中で、25ヶ月と最も長くランクインした1曲で、全8回も1位を取得しています。 2位はペギー葉山、62年発売の「泣きぬれて(泣いている花嫁)」。 58年に音楽家ホアキン・プリエートのにより作曲された歌曲「ラ・ノビア」のカバーで、当時の日本は空前のカンツォーネブームだったこともあり大ヒットとなりました。 3位「サン・トワ・マミー」は1位と同じく越路吹雪歌唱、岩谷時子詩による1曲。 自身のコンサートでは必ず歌われる曲だったそうです。 東京で1番売れたレコードのランキングで3番目に長くランクインした曲で、16ヶ月を記録しています。ランク上位を記録し続ける中、惜しくも1965年で集計が終わってしまいましたが、この後も長くランクインし続けた可能性があります。 |
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●1965年● |
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【年代流行ランキング】 1位 君といつまでも/加山雄三 2位 涙の連絡船/都はるみ 3位 涙くんさようなら/マヒナ・スターズ |
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【東京で1番売れたレコード】 1位 サン・トワ・マミー/越路吹雪 2位 砂に消えた涙/弘田三枝子 3位 ラストダンスは私に/越路吹雪 |
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第1位の「君といつまでも」は65年12月に発売された、加山雄三5枚目のシングル。岩谷時子作詩、弾厚作(加山雄三)作曲。「幸せだなぁ」の名台詞とともに彼の代表曲となりました。 66年にはベンチャーズにもカバーされ洋・邦ともにランクインする人気の1曲となりました。 2位の都はるみ「涙の連絡船」は11枚目のシングルにして2度目のミリオンセラーを記録した1曲。累計売上は155万枚以上。 3位の「涙くんさようなら」は65年に坂本九により発売された楽曲ですが、こちらはヒットならず。その後アメリカのポップス歌手ジョニー・ティロットソンにより日本語カバーされオリジナルを上回る大ヒット。 そのヒットを受けマヒナ・スターズとジャニーズの競作により発売されました。 東京で1番売れたレコード1位と3位は前年に引き続き越路吹雪の「サン・トワ・マミー」「ラストダンスは私に」が首位を継続。 第2位は弘田三枝子によるイタリアの歌手ミーナのカバー「砂に消えた涙」。 漣健児による訳詞で多くの歌手により歌われ、伊東ゆかりやザ・ピーナッツ、ミーナによる日本語セルフカバーなどが発売されています。 |
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以上、2回に分けお届けしましたがいかがだったでしょうか? やはり、首位を記録した楽曲の多くは今もなお愛され、多くの世代に知れ渡っている曲が多かったように思います。 また、東京で1番売れたレコードのランキングでは前半はアメリカン・ポップスのカバーが多く売れていたことに対し、64年頃からシャンソンやカンツォーネなどのカバー曲が多くランクインし、大きなムーブメントがあったように思います。 特に64年にランクインした越路吹雪「ラストダンスは私に」やペギー葉山の「泣きぬれて」は発売から数年を経ての大ヒットなので、何か再評価につながるきっかけがあったのではないかと思います。 参考となる情報がなかったので、この辺りに詳しい方がいらっしゃいましたらご教授いただければ幸いです。 そして64年頃から藤本好一「太陽の彼方に」や寺内タケシとブルージーンズ「ダイアモンド・ヘッド」など、ちらほらとサーフィン・エレキインストの楽曲がランクインしており、もしランキングが継続されていたらまた面白いデータが見られたのではないかと思います。 年代流行では世相を、東京で1番売れたレコードでは移り変わる流行を感じられたように思います。 |
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